感覚
- mama sono

- 5 日前
- 読了時間: 3分
料理を作っているとき、というか色々な組み合わせを考えて一皿にする時の話。
これを言語化されている方は本当に素晴らしいと思う。
自身の感じ方を人に伝えることが出来るのは、ひとつの才能だと感じる。
僕はというと、多分苦手な方だろう。
作り終わった後に、後付けで言語にすることはあっても、それがきちんと言語化されているのかは謎。
そして、それを伝えることができているのかも本当に謎。
自分の場合は資金体力もないし、作ったものをめちゃくちゃ食べれるわけでもないので、大体は情報のインプットと、そこからパーツの作り方、パーツとパーツの組み合わせを大体頭の中でやってしまう。
8割方形が作れたところで試作して、提供という流れが多い。
構造上一度作ったものと似たようなレシピだと試作しないこともある。
これは、8年ほど同じ土地にいて食材と季節が限定されていることもあるだろう。(個体値ブレの話は一度横に置いて話しているので悪しからず)
それでも、頭の中で味わいを想像する能力がちょっと高い気はする…。(井の中の蛙なので、厳しいことは言わないでください。すぐ潰れます、カエルだけに。)
頭の中でこうでこうでこうなったら美味しそうだなぁ。とか、こういうふうに火を入れたらこうなるかなあとか、そういうことを考えるのが好きだ。
僕は基本的にモノをイメージや映像、動画などで捉えることが得意だ。これは人と比べてとかではなく、自分の能力値の話。ようするに初期ステータスの振りというものだろう。
逆にいうと、名詞や単語を覚えるのが本当に苦手。
センテンスも、映像と一体化してないと厳しい。
(”ある晴れた青空に白い鳥が1匹いた”なら覚えられる。”抜け出すための一番の方法は、やり抜くこと”これはニュアンスを覚えられるけど、一字一句は覚えてられない)
例えば、出会った人がいたとして、その人の声、顔、出立ちも覚えているのに名前が全然思い出せなかったり、歴史でもこうでこうでこうなったよね!って説明もできて、肖像画も頭に浮かんでいるのに肝心な名前が出てこなかったり。
ワインなんかでも、あの箪笥や焦げた木にさまざまな黒や紫のベリーとその色にカカオニブのような味わい、などのようなイメージはあっても名前が全然思い出せないと言った具合。
あのーなんだっけ、あれ。あの。状態である。
そのかわりに、味やイメージは結構鮮明に覚えている。
だから、曲名とか映画名でいろんな話をしている人がすごく羨ましい。話が盛り上がっているなか、相槌を打っていて、家に帰って調べたら「なんだ、知ってる。話に加わりたかった。」としょんぼりしたりする。
料理の話をするときに「どうしてこの組み合わせを考えたの?」と聞かれると、ここの食材のこの部分とこの部分が良い感じに相性が良くてみたいな最もらしい説明をしているけれど、本当は頭の中で「青と赤が混ぜて紫になったら、そこに黒で暗くして、金色と合わせたら相性良さそう。」みたいな感じだ。
今のところ、詩子は話についてきてくれるし、バカにしないで理解しようとしてくれるから本当にありがたいのだ。
P.S
イメージで覚えているものだから、人との会話にどうしても一歩二歩遅れる。そうなると安心マージンを取ろうとして調べている間に会話が終わったり、別の話題になっていたり。
なんとも言えないくらい寂しくなったりするので、聞き役に徹したり、人の動画を見ている方が楽しい。
孤独は寂しいけれど、それ以上に隣にいる人と会話できないのは本当に辛くなることがある。
ちなみに、これについて話して下さい。といったふうに話を振られると永遠と話してられる。なんなら、自問自答して、ずっと止まらないまである。


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