
できないこと
- mama sono

- 4月7日
- 読了時間: 3分
料理の話をしよう。
といってもすごく広い範囲なので、今回は限定して。
技術の話。
僕は多分、一般的な料理人の方より技術がない。
それは、数をこなしていないからとか、体力がないからとか、そういうのもあるだろう。
あと、詩子が言っていたのだが、身体操作、つまりは運動神経が弱いという話だ。
昔から身体を使うことは苦手だ。
伸脚ができなすぎて、脚が伸びないだけなのに格好つけてると言いがかりをされたくらいだ。
母親が結構な強メンタルだったのもあり、小中高と運動部(バスケ、サッカー、バスケ)に入れさせられ、社会性や体力向上を計られたが、結果としてはある意味で正解だし、ある意味では不正解だったろう。
ある程度改善したから、結婚もできたのかもしれない。けれど、大部分が改善され無かったから引きこもるように暮らしている。
技術の習得や、それの再現性は身体にめちゃくちゃ影響がある。
体調が悪く視界がぼやけたりすれば、精度は下がってしまう(それでなくても均等に切れないのに)。目隠しして均等に切れる人や、キレイなオムレツを作れる人を尊敬する。長時間の労働でも壊れない身体と精神に強い憧れがある。
技術というものは、味わいに大きく影響を及ぼすことも理解している。
出来ることなら、めちゃくちゃに上手くなりたい。
往々にして、やってないだけ、やればできる。自分ができたのだから、君もできる。と言う。
ある程度生きていれば、それも間違いじゃないことは知っている。
けれども、やはりその人の個性というか、独自性みたいなものもあるのだ。全員が全員、ワールドカップに出られる選手になれるものではない。クリスチャーノ・ロナウドや、ロナウジーニョにはなれない。(古いね。大谷翔平のほうが分かりやすいか。)
出来ないのだから仕方ないと諦めてしまっている。
僕は完璧で精度の高い料理というものは作れないのだろう。
5ミリ角のダイス、細いジュリエンヌ、桂むき、基礎という基礎は学校でも教えてもらったけれど、教えてもらったからといって出来るようになるものでもない。
それを駆使した料理を作ることはできない。
早い仕込み、大量に製品を作り続けること。
これもできない。
できないことが多すぎる。
世の中で働いている人、プロフェッショナルな人たちのことを本当に尊敬する。
だからといって、料理を諦めているわけではない。
料理というものの懐は本当に広いように思う。
技術に頼らないもしくは、できる技術で料理をひたすら考えることが出来る。
道具もあるからね。本当に助かる。
なんでもできるスーパーな人に憧れるけれど、自分にはできることが決まっているから、出来ることで勝負していこうと思う。
こんなわがままができるのも、自分の名前で個人事業でやっているからだろう。
できないことに固執していても仕方がない。
できることで、締め切りに間に合わせて、自分の全力を出して、ゲストに喜んでもらえるように十全な努力をする。
完璧ではないけれど、より良いものをできるようにするのだ。
がんばろう。


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